学会

少し寝坊した。シャワーを浴びると、もう朝食を食べに行く時間はあまりなかった。どうしたものかと思いながら、ホテルを出ると、以前、この学会でいっしょになった韓国の先生に出くわしたので、挨拶。朝食を食べている暇はなさそうですなということになり、彼が司会をするセッションの会場までいっしょに歩いて行くことになる。途中でマクドナルドに寄り、コーヒーを買う。彼も中国語はできないらしいので、英語で注文。従業員は英語を理解しなかった模様だが、近くにいた別の客が中国語に通訳してくれた。謝謝。それから会場の部屋に入り、イェイツについてのセッションを拝聴。ハーヴァードの先生の報告で、この学会に参加している韓国の先生たちとともに行う、イェイツによる能の模倣についての共同研究の企画があることを知る。能は西洋の演劇の伝統とは異なる、イェイツにとってはまったく新しい演劇の形態だったと言われるが、実はそうではなく、キリスト教の神秘劇やサロメの物語によって形成された理解の素地があったのではないかという説も聞いた。イェイツは自分の専門とは言えないが、なかなか面白かった。司会の先生は、イェイツとポストコロニアリズムについての発表。先行研究を踏まえた上で、自分の考えを示すもので、勉強になった。別の韓国人の先生は、ハーヴァードの先生が書いた詩についての発表。ピカソの絵が重要な素材となっているらしい。パワポのスクリーンには北斎富嶽三十六景の「神奈川沖波裏」の画像が映し出されていた。あと二人は中国の先生で、一人は杭州で会った浙江大学の先生。道教の考え方に照らし合わせて、イェイツの詩を論じるという発表だった。もうお一人は、イェイツの詩に見る「老い」のテーマについて話された。

次は Plenary session で、最初はハーヴァードの先生が先ほどの話をより詳しく話された。次もアメリカ人の先生で、劇作家ピンターの詩について。次は、その昔在外研究に行ったときに会ったことのある先生(当時は大学院生だった)。スタイン論。それから、今回も学会の元締めとして忙しそうに働いていた華中師範大学の先生のディキンソン論。前半に一人、後半に一人討論者がつき、これは新しい趣向。終了後、またバンケットホールに移動して昼食。たまたま、中国人の先生ばかりの座るテーブルに就くことになった。左隣はどうも中国文学の先生らしく、英語はあまり話されない。右隣は地元の大学院生(M2 だという)で、英語もよくできた。いろいろ聞くと答えてくれて、勉強になった。中国の修士は3年だということも初めて知った。食事を堪能しつつ、「食在江南」と言うのではないかと聞いたら、「江南」は「上海」とすべきだろう、などと言われた。

食後、また発表会場に移動して、再び Plenary session。アメリカ人の先生たちはどうやら観光に行かれたようで、姿を現さなかったが、今年名古屋でも話してもらった、中国出身で今はアメリカで教えている先生のスティーヴンズ論、それから、エストニアの先生によるエストニア詩人についての話を聞く。その後、今度は自分の発表。最後に、中国人の若手の先生がエコポエトリーの視点から、パウンド、レクスロス、スナイダーらについて論じて、セッションは終了。その後、プレナリーすべてについての質疑がまとめて行われ、続いて、閉会の挨拶(これがなかなか立派なスピーチだった)。

終了後、再びバンケット・ホールに移動して、歓送の宴。またしても、中国人の先生および大学院生と同じテーブルになったので、いろいろと意見交換。大学院生は日本に親戚がいるそうで、観光で、名古屋にも行ったことがあるという。日本でどこが一番良かったかと聞くと、北海道という回答。第二外国語で日本語を取ったそうである。その隣に座っていたもう一人の大学院生(教員?)も第二外国語で日本語を学んだそうで、ヨロシクオネガイシマース、などと言う。日本の小説の話にもなるが、川端にせよ、村上にせよ、中国語だと発音がまったく変わるので、ややこしい。スマホで漢字を見せて話す。午後の観光から帰ってきたアメリカ人の先生たちも食事に参加しておられ、昔アメリカでお世話になった先生(今もお世話になっているわけだが)とあれこれ話す。最近ご主人を亡くされたので、そのショックを引きずったということだったが、今はお元気そうであった。新しい本も出るそうだ。ご主人の葬儀には、日本の先生も参加されたと聞いた。

散会後、翌日から上海交通大で開催される別の学会に参加する人たちは急いでバスに乗って、会場を去っていった。アメリカ人の先生たちもそれに参加しなければならないのだそうだが、今夜は別行動をとって飲みに行くというので、おつきあいさせていただく。(そういえば、この学会では食事時に酒がいっさい出ず、テーブルでは皆さんヨーグルトとココナッツミルクを飲んでいた。)旧フランス租界地にあるホテルまで、中国人の先生に車で送っていただく。詩人の先生が部屋に寄るというので、中国系の先生といっしょに、ついていき、スイートを見せていただく。(ついでにトイレも借りた。)それから、1階のバーでスコッチなど。アメリカ人の先生たちのゴシップ話を面白く聞く。ニューヨークから離れたところには住めないとか、しかし、空港が近いこの町なら住めるとか、『ゴッドファーザー』はすばらしいといった話を著名な先生たちから聞いたのも面白かったし、学生に A- の評価をつけたら、自分はどうして A- かという質問をされたとか(おそらく親から、成績についてクレームをつけると、成績が上がる可能性があるので、とにかくクレームをつけよと言われているのではないか、とのこと)、ロースクールでは、就職のためのインターンシップの口を確保するのに学生たちが奔走しているといった話も、アメリカの大学の様子を知る上で参考になった。表現は忘れたが、大学というところは、もっとゆったりとした環境の中で、教員と学生が共通の関心について、深く探求する場ではなかったのか、といったことを、詩人の先生がおっしゃっていたのが印象に残る。それから、同じホテルに泊まっている中国系の先生とともにタクシーに乗る。(土曜の夜であるせいか、なかなかつかまらなかった。乗車の際には、またしても、院生に書いてもらった中国語を活用。)車中で話したところ、やはり在外研修時に知り合った、いまはコロンビアで詩を教えている先生とも懇意であるという。たまたま日本に来ているらしい、アジア系の実験詩について研究している中国系の先生のこともよく知っているということだった。それにしても、ニューヨークに比べると、上海のタクシーは安い、とも。かくして、長い、しかし、充実した学会の一日は終了。