学会2日目

またしても睡眠時間を削ったので眠い。朝食の後、最初のセッションは失礼して、部屋で再び原稿短縮作業。やはりうまくいかないが、時間が近づいてきたので、雨の中を歩いて会場へ。途中でまた道に迷い、銀行に向かう道を歩いてしまったり、左折を忘れて図書館に行きかけたりする。ようやくたどり着いた会場は語学の教室のようだが、少々手狭で、すでに中国人の参加者の皆さんが陣取っている。いっしょに司会をすることになっている浙江大の先生に挨拶して、セッションの進め方について相談。一人10分で、質問を少し受けるというのは昨日聞いたセッションと同じだが、昨日は司会が最後に話したのに対し、今日は日本の先生は最初にどうぞということになる。まだ開始時間に少し間があったが、さあ始めましょうということなので、どやどやと会場に入ってくる人の物音や、扉が閉まる音が気にはなったが、人数が多いのでまあ仕方がないかと考えて、ハンドアウトを配り、スタインの話(縮約版)を大きな声で発表。反応はいま一つ。日本から来られた教授先生がなんで言葉遊びの話などしているのであろうかというクエスチョン・マークが皆さんの顔に浮かんでいるような気もするし、スタイン自身があまり紹介されていないのかもしれない。あるいは、心配した通り、縮約したために要領を得ない話になってしまったのかもしれない。昨日の教室から判断して、ホテルの部屋にパソコンを置いてきたが、今日の教室はパワーポイントもばっちり使えたので、当初の予定通り PPT を使った方がよかったか、とも思ったが、しかし、そうするときっと10分では終わらないだろうから、やはりハンドアウトのみで正解か。当然のことながら、どんな条件下でもきちんとした話ができなければいけないのだから、要するに準備不足ということになるのだろう。

イマイチ感を感じつつも、ともかく自分の発表は終わり、その後は司会に徹する。こちらの慣習なのか、司会は一つ一つの発表の後に簡単なコメントをするということなので、アトウッドの詩と自然、フロストの詩に見るアメリカの集団的無意識、ジョン・ダンの詩の認知言語学的分析などについて請われるままにコメントする。アトウッドの詩について話した先生は、カナダ文学が専門で、アトウッドについて本を書いたという若手の優秀そうな先生だった。The Journals of Susanna Moodie(以前、日本の学会で司会をやったときに読んだ)についての質問にもばっちり答えてくれた。ダンの詩についての話をしたのは香港出身だという若い大学院生だが、見るからに優秀そうで、途中で、皆さん話についてきてますか、と聞いたりする。中国語による発表も何件かあり、一つはスティーヴンズ論、一つはフロストのこれまた認知言語学的発表だった。中国語の発表の司会とコメントは浙江大の先生がされる。(ご本人も最後に中国語でパワポを使って話をされた。)中国語の発表とディスカッションの間、こちらは何もわからないのだが、杭州での経験もあるので、今回は、こういうのもありかなという気がした。院生はまだ英語があまり達者でない人もいるし、後から聞いたところによると、参加者は英文畑の人ばかりではなく、中文、比較文学系の先生や院生もいたらしい。英語の発表のときには、では日本の教授先生ひと言、などと言われ、ほかの参加者も英語でコメントしてくれるので、全体としてはなかなか楽しいセッションだった。セミナー形式ということなのだろうか、こういう形式のセッションにもすぐに慣れてくるものである。

その後、発表した先生の一人といろいろと話すことになり、彼女といっしょにランチの場所へ移動。バンケットという位置づけらしく、いつものホテルのレストランよりも広い、グレードも高そうな場所での食事。中国人の先生方の中に一人混じり、ワインなどで乾杯。皆さん、なぜか少しだけ日本語ができるので、日本語と中国語の話、李白の詩がらみで黄鶴楼の話など。手製の名刺をお配りすると皆さん話に乗ってくれる。たいへん感じのよい先生方で、食事も美味。楽しいバンケットとなった。

午後は部屋に戻って仕事。何件かの基調講演は失礼することになり、申し訳ないが、月末ということもあり、たまっている仕事のいくつかを片付ける。ネットを使えるのがありがたい。途中で電話がかかってきて、翌朝空港へ向かう際のタクシーの手配に関する質問を受ける。T 先生といっしょなので、時間をディナーのときに知らせることになる。来るときの迎えは結局なかったが、帰りは主催者側が気を利かせてくれた模様。ありがたい。中国でも国際化、国際化と言われて、国際学会の開催や参加が奨励されているらしいが、これだけの人数が参加する国際学会を運営するのはさぞ大変であるに違いない。参加者には本やスカーフなどの土産もつく。海外からの参加者のためにはいろいろと便宜もはかられている。予算確保もひとかたならぬことであろう。

ディナーでは再び T先生といっしょになったが、それ以外は中国人の先生方。と思ったが、隣に座ったのは、ロードアイランドで博士号を取られたという若い、これまた大変優秀そうな韓国の先生だった。やはり英文学を教えているお父さんといっしょに参加されたのだという。韓国の大学事情、英語教育(例えば、実用英語と文学)といったトピックについてあれこれ話す。反対側に座られた、バイアットについて本を書かれたという中国人の先生、日本語も少し話される北京人民大の先生などと話しているうちに、後ろのテーブルにいた先生(昨日のパーティーの主賓)に呼ばれたので、移動して少し話す。ほかにもアメリカから参加された著名な先生方がおられたにもかかわらず、その先生方とは話をする機会がなかった。せっかくアジアまで来られたのだから、この機会にいろいろと話をしてくればよかった、と今になって思う。

食後、雨の夜道を歩いて、再び基調講演などが行われるミュージック・ホールへ。最後の催しである朗読会。一人3分という時間制限付きで、参加者の皆さんが詩の朗読をされる。中国語の詩を朗読する人は、その後で英訳も読む。アメリカ人の先生の一人は詩の朗読ではなく、ブルース・ハープを使い、足でリズムをとりながら、ブルースを1曲歌われた。ディナーのときに話をした韓国の若い先生も、そのお父さんも自作の詩を朗読された。T先生も宮沢賢治の訳詞を朗読された。こちらは何の準備もしていかなかったので、聞いていただけだが、こういう機会に何かご披露できるものを用意しておかなければいけないですな。最後は言語詩人チャールズ・バーンスティンのすばらしい朗読。朗読会は一人の詩人がながながと朗読すると飽きてしまうこともあるが、こうした時間制限つきのものはなかなか楽しい。

その後、最後の挨拶があり(辛亥革命100年にも言及あり)、学会は終了。今回はスケジュール的にも大変で、いろいろとうまくいかないこともあったが、昔お世話になった先生や古い友人に会うこともでき、また中国や韓国の先生方と様々な話もできた。久しぶりにスタインについて考えることができたのもよかったし、印象的な朗読も聞けた。全体としては有意義な学会だったと思う。