世界ヒバク状況を生き抜く

午前、広報誌のための座談会、午後、講演会。座談会は10月から始まる新コースの紹介を目的とするもの。5人で1時間ほどあれこれ話す。座談会に立ち会ってくれた同僚と生協にてランチの後、午後、原発関係の講演会(「世界ヒバク状況を生き抜く――原爆=原発が規定した戦後世界の果てで」)にお邪魔する。講師の早尾さんは社会思想史が専門だが、3月の震災の後、子供を連れてご自宅のある仙台から関西に脱出してきた人。今日はその経緯についての話と、チェルノブイリの例を踏まえた、内部被爆の話などをお聞きする。原発事故による放射能の子供に与える影響を考えれば、政府の出す数値は保守的すぎる。より多くの人が疎開してしかるべきだという。なるほどと思いながら拝聴したが、疎開できる人とできない人の格差のことなども考えさせられた。また、学校単位での疎開を実現させるための受け入れ先確保、財政支援、そのための財源確保などのことを考えると、ここは一つ行政に動いてもらいたいという気がしてくるのだが、実現の困難を知っているからこそ、政府は避難の必要性を過小に語っているに違いないという見解を聞いて、残念ながら、なるほどと思ったりもした。大量の人々が被災地を去る光景を思い描くと、原発事故のせいで周辺の膨大な場所が居住不可能な地となってしまったという事実が目に見える形で現れる。そうした図が顕在化することを、政府および関係者は極力避けようとしているのだろうか。講演タイトルを読むと、アメリカの冷戦小説や同時期の映画のいくつかで仮想として描かれていたことが、いまや仮想ではなくなったのかという気もする。少々大げさかもしれないが、死の病とともに生きることを描いた小説などのことも思いだしたりする。