アメ文全国大会

朝、駅周辺でモーニング・サーヴィスのある店を探したところ、駅地下に「サンマルク」があるというので、そこで朝食。それからホテルへ戻り、プラースの詩をいくつか読み直す。昼は駅近くの小豆島ラーメンの店「HISHIO」へ。人気店らしい魚介スープのラーメンで、悪くはないが、名古屋の「翠蓮」の方が上であるな。それから歩いて学会会場のノートルダム清心大学へ。駅から10分ほどのところにあるきれいなキャンパスで、校舎のうち1920年代に建てられたものはアントニン・レーモンドの設計だという。開会式に出た後はずっと詩の部屋に陣取って発表を拝聴。今回はなぜか4件の発表のうち3件がプラースについてのもの。(→ プログラム。)大学院生から名誉教授まで、それぞれ異なる視点から詩人と詩を論じられた。今回、いろいろプラースの詩を読み直すことになったが、”Words” や “Mary’s Song” などに見られる、痛みの感覚を喚起しようとしているかのような表現が、以前読んだときに増して痛切に感じられるような気がした。”Mary’s Song” に見られる holocaust という語の使用とそのイメージも、カタカナで「ホロコースト」と訳してしまうと失われてしまう類の苦痛の感覚を伴うものだと思う。詩の冒頭のイメージはその感覚を実感させてあまりある、えげつないという言葉さえ浮かぶような強烈なものであるように感じる。言葉の身体性という表現で片付けてしまうわけにはいかないものだと思うが、議論においてそれをどのように表現したらよいのだろうか、といったことを考えた。

終了後、懇親会へ。お世話になっている先生方といろいろ情報交換。もうあまり酒は飲めないので、今日も梅酒をちびりちびり飲む。散会後、バスで駅に出る。繁華街にある店で、懇親会を欠席して岡山の海の幸を堪能しておられた皆さんに合流。長老の先生は入れ替わりでホテルに戻られたが、店に残った先生方とあらためて情報交換。団扇海老、喉黒などを賞味。料金も安く、よい店であった。しかし、ここでも酒はあまり飲めず。(疲れも出たような気がする。)就職したての頃、岡山で二度学会があり、その際にある先生が住んでいた宿舎に泊めてもらったのだが、そのときに連れて行ってもらった店で長老の先生と初めて会ったのであった。「アート・チボリ」という店だったが、そのときにお世話になった先生も、その店がまだ存在しているのかわからないということだった。25年以上前のことなので、もうなくなっているのかもしれない。散会後、そぞろ歩きでそれぞれのホテルへ。