アメ文全国大会

朝、三条駅まで歩き、京阪で柳馬場へ出て、叡山電鉄に乗り換え。外国人観光客が発券機を使って万札を両替していた。何枚も両替しようとしているらしく、時間がかかるので、一声かけて、先にチケットを買わせてもらう。2両の列車は鞍馬へ行くらしい客で満席であった。こちらは一乗寺下車。そこから15分ほど歩くと詩仙堂。前に2度ほど来たことがあると思うが、小さな寺で、観光客もそれほど多くない。庭に面した縁側に座り、庭を眺めながらしばらくぼんやりする。それから庭を少し歩いてから、詩仙堂を後にする。今度は少し北へ行ったところにある圓光寺へ。庭が十牛図を模しているというが、よくわからず。宝物殿には応挙の竹の絵、般若心経などの活字版などがあった。圓光寺を出たところで駅に引き返そうかと思ったが、まだ少し時間があったので、また15分ほど歩いて曼殊院へ。曇天の下、暑くもなく、寒くもなく、ウォーキングにはちょうどよい。ほかにも歩いている人が何人かいた。寺の前はちょっとした坂道になっていて、その坂まで来てようやく、以前来たことがあることを思い出した。拝観料を払って中に入り、応挙の虎の絵、不動明王像、阿弥陀如来像などを見る。虎の絵には確かに見覚えがあった。たぶん、名古屋の夏期セミナーに関する打ち合わせで立命館に来たときではなかったか。ともかく拝観を終え、帰りは来た道ではなく、修学院駅に続く一本道を下る。この道は初めて歩く。途中で何台かのタクシーに追い越されたが、気持ちのよい道。三叉路でどちらに曲がってよいかわからなくなったが、近くの住人の方に教えていただいた。ご親切にありがとうございます。無事、駅に着き、また叡山電鉄柳馬場へ。そこから徒歩で10分ほど歩くと、なるほど、百万遍のこの道に出るのだな。

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アメリカ文学会全国大会。残念ながら、開会式には間に合わなかったが、2室あった詩の部屋で4件の研究発表を拝聴(プログラムはここ)。いずれも勉強させていただいた。最初の漫画についての発表は、ドゥルーズが出てくるあたりでちょっとついていけなくなったが、紹介された作品は面白そうだった。2つ目の発表では、”being invalidated and nothing / is the reverse image of the ordered civilization / and one is calm” というスカラピーノの詩の引用があり、あれこれ考えさせられた。(いろいろな読み方ができそうな詩行であり、 multiplicity という点に注意するのであれば、その点も無視できないのではとか、あるいはさらに、そのことを考慮に入れると、 テクストから浮かび上がる「自己」というものをどのように考えればよいのかとか——発表者によれば、スカラピーノは the comic book is the self と言っているということだが ...。)また、以前名古屋で朗読を聴いたサイモン・アーミテージのラップに関する発言とか、マイケル・ブラウンの検死記録を用いたケネス・ゴールドスミスの作品についての言及があり、最近自分がニュースについていけていないことも実感した。エリオットについての発表は書誌情報が多く、勉強になった。質疑の際に、Shantih の箇所について、サンスクリットを知る方がその箇所の出典部分を朗唱されたが、録音されて残っているエリオット本人の『荒地』の朗読よりもずっと印象深いものだった。ベテランの T 先生は余裕の発表ぶりだったが、質疑の際に、賢治についての豊富な知識の一端を知ることができた。アメリカ詩の研究とともに、日本の詩人についても研究を続けてこられたわけで、そのことにあらためて感銘を受けた。思い出されるべき詩行をさっと思い出せるというのはやはりすごいことである。

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研究発表終了後、時計台の建物にある会場へ移動して懇親会。多くの参加者があり、料理も充実していた。会場でお世話になっている先生方にご挨拶。ワインや日本酒を飲みながら、もろもろ情報交換もした。ワインも日本酒も美味であった。散会後、タクシーで三条へ。懇親会に出ずに食事をされていた皆さんと合流し、二次会。隠れ家を思わせる、よい店であった。よい店であったので、二次会の後も少人数で居座り、そのまま三次会とあいなった。