ベン・シャーン展

早起きして美術館に寄ろうかと考えていたのだが、寝坊した。慌ててロビーまで降りてチェックアウトしようとすると、ロビーのカウンターで昨夜一緒だった同業の先生に出くわす。結局12時半まで飲んだと聞く。で、今日はこれからスキーをしてから帰るとか。体力ありますな。こちらは10時少し前のしなのに乗って、南下。線路右手側に広がる壮麗な山並みに目を奪われ、こうした景色を見て育つ人間とそうでない人間とでは人格に違いが出るのだろうか、などぼんやり考える。車内は空いていたが、研修でもあったのか、前の席に座ったメーカー勤務とおぼしき背広姿の若い男性たちが小声で話を交わしている。がんばって働いたが、ボーナスが出なかった、といったような話が聞こえてくる。列車は木曽福島を過ぎ、中津川を過ぎて、多治見。窓外の景色が次第に都会らしくなってくる。千種着。地下鉄に乗り換えて、伏見へ。地上に出ると穏やかな日で、松本仕様の服装だと暑い。インド・キッチンという店に入って、昼食。パラクパニールとプローンマサラとチキン。思ったよりも量が多い。そのせいなのかはわからないが、若い人が多く、背後ではナンのおかわりの声も聞こえる。

食後、早春を思わせる陽差しの中を白川公園まで。久しぶりに来たら、大きな金属製のバルーンのようなものが据えられている。なるほどこれが新しいプラネタリウムか。子供を連れた人が多いのはそのせいであるに違いない。プラネタリウムには長いことご無沙汰である。小学校では、理科実験クラブというものに入っていて、学芸会では模擬火山?の実験などというものを披露した。クラブとは別だが、この頃はよく夜空の星を見たもので、天体望遠鏡がほしいとねだったが買ってもらえなかった。(顕微鏡は買ってもらったのだが、すぐに飽きてしまい、ケースの中で長いこと眠らせることになった。)名古屋まで出てプラネタリウムを見るといった学校の行事もあったはず。東京に出てすぐの頃、渋谷のプラネタリウムには行ったのだろうか、行かなかったのだろうか。思い出せず...。科学館の脇には新しいミュージアムショップもできている。せっかくだからとここを冷やかす。

しかし、今日の目的は科学館ではなく、市美のベン・シャーン展。回顧展が開かれることはあまりないと思うが、実際、彼の作品をまとめて見るのはこれが初めて。展示を順に見ていくと、最初はトム・ムーニー事件とか、サッコ・ヴァンゼティ事件などに関するジャーナリスティックな絵が多い。写真の図柄を用いて描いた作品が多いらしく、参考にされたとおぼしき写真が絵の隣に掲げられている。多くの場合、彼の作品の背後には何らかの事件があるわけで、その事件についての知識があるとそれらを見る経験はより有意義なものになるだろう。絵の外部の物語は排除して、絵そのものを見るのがよいとする考えもあるのだろうが、この人の場合、物語(事件、時代背景)を知ったうえで見るのがよいように思う。

しばらく行くと、シャーンが WPA から派遣されて撮った写真の数々が展示されている。ニューヨーク、南部、中西部で撮られた様々な写真。ランゲやウォーカーが撮ったような、貧困にあえぐ人たちの写真よりもむしろ、30年代の市民の生活ぶりを窺わせる写真に興味を惹かれる。ミンストレル・ショーの広告かと思わせるものが写ったものもあった。写真の中に捉えられている様々な言葉も面白く、中には、肥満体型向けの店の看板なども見える。絵と写真のほかに、ポスターやレコード・ジャケット、本の挿絵など様々なジャンルの作品が展示されており、それゆえにこの展覧会で彼は「クロスメディア・アーティスト」と呼ばれているのだろう。もちろん、シャーンは第五福竜丸(Lucky Dragon)事件を告発する作品を残していることでも知られ、今回の展覧会も昨年の 3.11 以来の原発、原爆(水爆)の歴史に対する関心の高まりに呼応する形で成立したのだろうと思う。館内で、新藤兼人の『第五福竜丸』が上映されていたことも、そのことを示している。

展示を見終えた後、地下に降りて、常設展示を見る。久しぶりに荒川の大きな絵を見た。ベン・シャーンはリベラの壁画制作の際に助手を務めていたという。シャーン展を見た後には、必然的に、リベラ作品にも改めて注目。企画展の図録を買ってから、大学へ。