杭州3日目

firecat2010-06-05

最初のセッションが8時から始まるというので、眠い目をこすって朝食。料理の種類が少しずつ変わっている。食後、大広間に全員集合して、浙江大と杭州師範大の学長からの歓迎の挨拶を拝聴。登壇者の背後の壁の上方に赤い横断幕が張られている。そこに 3rd International … と書かれているのを見ると、文脈はずれまくりだが、この国の共産主義のことを思い出す。挨拶は中国語で行われ、それに通訳がつく。通訳される前に聴衆が笑うので、きっと何かおもしろいことを言ったのだろうと思うが、通訳を聞いてもそれが何なのかわからない。歓迎の挨拶に続き、ホテルの前に参加者が勢揃いして、記念撮影。最初、一番高い段に立ったのだが、後ろに落ちるのではないかと心配になる。カメラマンが1、2、3とかけ声をかける。別に数字を普通に発音しているだけなのだろうが、中国語を解さぬ耳には、すばらしい発音であるように聞こえる。その抑揚が耳に残る。

それからまた大広間に戻り、基調講演者の発表3件(Zhang Longxi, “Elective Affiities? On Wilde’s Reading of Zhuangzi”; Sabine Sielke, “’Orientalizing’ Emily Dickinson and Marianne Moore – Complicating Modernism?”; Daniel Albright, “Yeats, Pound, Asia, and the Music of the Body”)を拝聴。コーヒーブレイクをはさんで、基調講演者の発表をさらに2件(Ronald Bush, “’Light as the branch of Kuanon’: Guanyin and Pound’s Italian Drafts for the Pisan Cantos”; Zhaoming Qian, “Moore’s ‘Lost’ Essay on the Tao and her Late Animal Poetry”)聞く。いずれも質の高い、ためになる話だが、スケジュール的にはちょっとしんどい。パワーポイントを用いた発表では、ときおり参考文献が紹介されるのだが、こちらの院生たちは、スライドに映された書影をケータイでぱちぱち撮影している。けたたましい着メロは基調講演の際にも何度か聞こえる。コーヒーブレイクの後、発表が始まる前に、隣に座った中国人の先生と話すことになったが、彼女によると、中国ではいま儒教や中国の古典について学んだり、話したりすることが流行しているとのこと。「流行」という言葉には幾分か批判的な響きがあるように聞こえたが、儒教に限らず、文革の影響はずいぶん希薄になっているようである。

昼食の後、バスに乗り、トンネルをくぐって浙江大学のキャンパスへ。モダン建築の立ち並ぶ広大なキャンパスで、アメリカの大学へ来たようである。図書館らしき建物もたいへん立派。Tシャツを着た学生たちが歩いている。普段着の学生たちはこんな感じか。名古屋の栄に昔あったものに似た葱坊主風のオブジェを目にする。言語・文学系と思われる部局の建物に案内され、そこの5つの部屋を使用して、同時進行で発表が行われる。各セッションでは20分の発表が3件。セッションは各部屋で3つ行われるので、発表件数は合計45(ただし、欠席者もあり)。パワポ使用者のことを考えてか、部屋はいずれも CALL 教室らしき部屋。図書館などに比べると、こちらの建物はいささか古めである。最初に、東京女子大のEwick さんの発表を聞き、それから移動して、愛媛大の Marx さんの話を聞くが(いずれも質の高い発表)、こちらの部屋では最初の発表者の話が長すぎたらしく、途中で失礼することに。続くセッションでは司会を担当。昨日中国語で発表しますとおっしゃっていた先生は結局英語で発表されたが、別の先生が中国語で話された。パワーポイントを使いながら、力強く大江健三郎について論じておられる模様なのだが、残念ながら、パワポも中国語なので、内容はよくわからず。スクリーン上の漢字とプログラムに掲載されたプロポーザルから、論についてあれこれ推測する。二人目はMcEwan の Black Dogs について。若手の優秀な先生によるしっかりとした発表だった。英語も立派。三人目は中国のある批評家のエリオット論に関する発表。パワポはやはり中国語だったが、英語で手際よく話をされた。3人の発表終了後、質疑。いきなり、中国語で行われた発表に対して中国語の質問が出る。せめて質問内容を英語で紹介してほしいと依頼したのだが、どうも無視されたようで、中国語でのやりとりが繰り広げられる。司会を含め、中国語を解さぬ参加者は蚊帳の外に置かれていたのだが、そのうちに、2番目の発表者が通訳を買って出てくれ、また、参加者のひとりが英語で質問してくれて助かる。日本と違って、質疑は活発。中国語にはとまどったが、結局、思ったよりも充実した Q & A となった。あとでイギリス人の先生にそのことを話したら、たまには言語的他者となる経験をするのもよいことだ、と笑っておられた。ぐったりと疲れたが、コーヒーブレイクの後、さらにセッションに出て、Stevens についての発表を拝聴。

3つのセッション終了後、またバスに乗り、今度は「王子酒楼」なるレストランへ。学会バンケットで、コース料理を堪能。江南名物だと思われる様々な料理が出て、最後に麺(写真)。隣に座った北京の先生がいろいろ説明してくれたが、よくわからないものもあり。食後、再びバスに乗ってまた大学に戻る。立派なホールに案内され、参加者の一人である作曲家 John Austin さんの作品――漢詩を素材に用いた現代音楽――を拝聴。続いて、学生さんらが演奏する中国民族音楽。学生さんたちはなかなかの芸達者である。難関大学で学んでおられるわけだが、学業だけでなく、習い事にも熱心な家庭に育ったのであろう。一人は立派な賞も受賞したことのある腕前なのだとか。先生か院生の娘さんなのであろうか、小さな女の子(9歳?)も出てきて、演奏。演奏の前と後の仕草が可愛らしく、拍手喝采。終了後、バスでホテルに戻る。長い1日であった。

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Mistie Shaw, "Tape Found of Lost Lecture by Modernist Writer Marianne Moore" (Suite 101)