アメ文中部支部大会

今回はポピュラー音楽学会中部支部と合同開催。午前は発表2件、午後はシンポと特別講演(プログラムはここ)。最初の発表は Joanne Kyger に関するもの。Kyger の詩はあまり読んでいないが、伝統的なペネロピーのイメージの修正という点など興味深い。タペストリーの描写の一節に DV を読むことができるのではという質問があったが、なるほどそうかもしれない。次の The Woman Warrior についての発表は、少々早口だったが、はっきりとした話し方で話されたので、わかりにくいということはなかった。議論(指摘)も面白く聞く。ベールというと、やはり DuBois を思い出すのだが、彼の double consciousness の議論には進まない。意図的か?

総会、休憩後のシンポジウムは、文学研究とポピュラー音楽研究のコラボレーションの試み。4件の報告いずれも面白く、この領域は間違いなく大きな可能性を秘めていると感じる。最初に焦点を当てられたアメリカーナは Dylan 関連でも興味ひかれるトピックだし、ニューオーリーンズの音楽における先住民というのも考えたことがなかったので興味深かった。ダイナの翻訳における pun も楽しいし、人種の観点から見た90年代以前・以後のロックの違いについての議論も面白く拝聴した。second line(ニューオーリーンズのパレードの本隊の後についていく人々)、flanger(ホワイトノイズの加工)といった用語も学び、こちらも少しは賢くなった(はず)。The Carter Family の "No Depression in Heaven"、The Neville Brothers の "Sister Rosa"「エノケンのダイナ」など、興味深い映像、音源も紹介され(Woodstock 94 の映像も)、講師の皆さんがきっと大学で面白い授業をされているに違いないといったことを思う。情報は無駄にしてはいけないので、さっそく自分の授業にも採り入れたい。

特別講演の佐藤さんは、ピンチョンの小説が時代の様々な要素を吸収しつつ成立していることを、また、彼の文学が文学と音楽の間に想定されがちな分断をいかに克服し、それによっていかに文学が持つ大きさを示しているかを、様々な興味深い実例を提示しつつ話された。アメリカ文学の学会とポピュラー音楽の学会との合同開催にふさわしい講演だったと思う。ピンチョンの作品中に見られる音楽の様々な例は、ピンチョン・ファンには面白いものばかりだが、それらが具体的にどんな歌であり、音であるのか(あるいは、ありうるか)を教えてもらえるのは実にありがたい。YouTube 時代のピンチョンの、そして他の小説の読み方の実践ということも言えるだろう。また、作品中に言及されるある歌を実際に聴き、その歌詞で用いられているのと同じもしくは類似した単語がピンチョン自作の歌に出てくるのを確認することで、ピンチョン作の歌がどのような音として意図されているのかが推測される、そしてそれゆえにどのように訳すべきかの指針が得られるという話は、翻訳の現場をかいま見るようでエキサイティングであった。

例えば、Dos Passos の Manhattan Transfer などにも、作品が設定されている時代に歌われていた歌がテクスト中に盛り込まれている。そうした歌の実際を知りつつテクストを読むことができれば、作者の意図により近いテクストの効果を体験できるのではないか。ドス・パソスにせよピンチョンにせよ、もともと小説というものは多様で雑多なものに対する許容度が高いはずである。今日の講演で示された様々な例は、読者にそのような体験を促すものであり、また同時に、小説家の中でもピンチョンは歌や音楽の利用という点に関してとりわけ意欲的であるということを示すものでもあったと思う。ピンチョンの小説の魅力の一つは(他にもたくさんあるが)間違いなくそこにあるだろう。V.(本)のサントラ版など、出たらぜひ購入したい。

終了後、バスに乗って、懇親会場まで。フランス料理の Bistrot Mirabelle を借り切って、立食の懇親会。ビールやワインを飲みながら、参加された皆さんとあれこれ話す。料理もうまく、楽しい会であった。散会後、駅まで歩いて飲み屋を探すものの、見あたらないので、地下鉄で今池へ移動。しかし、ここで皆さんにご紹介するはずだった店も見あたらないので(後で調べたら、お休みであった)、近くの別の店に入り、焼酎など飲みながら、音楽のことなど話す。日本の歌の歴史のことなど、興味深い話を伺った。ポピュラー音楽学会の皆さんは酒席でも大変お元気であった。3次会は失礼して、タクシーで帰宅。

今回は関西支部や東京支部の人も参加されて、盛況だった。新聞広告を見て来たという方もおられた。佐藤さんの人気はもちろんだが、ポピュラー音楽学会との合同開催であったことが大きかったと思う。皆さん、ありがとうございました。また、お疲れさまでした。またやりましょう。

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サトチョンの翻訳日記
(2011.2.26 のエントリー参照。)