学会2日目

学会二日目。結局仕事にならず、起床。そこはかとなく腰痛あり。朝1のシンポに駆けつけるべく、タクシーに乗るが、運転手さんは場所がわからず、カーナビも要領を得ない。こちらの指示にも間違いがあり、結局、六甲ロープウェイ入り口まで行って、観光客を見物し、それからまた坂を下りて会場入りすることに。運賃は3360円ほどだったが、3000円にまけてもらう。(前夜はもっと安かったぞ、たしか。)そんなこんなで、情けないことに、シンポはまた遅刻となった。パウンドと長篇詩の系譜というトピックだったが、「詩篇 72」と「詩篇 73」(イタリア語で書かれた詩篇)の読解を聞き損ねた。まったくもって申し訳ない。前半の『詩篇』の分類は重宝なものだったし、ズーコフスキーの A の解説も有益だった。(しかし、どのように読めばいいのか、ちょっとわからない箇所もあり。またじっくり読んでみたい。)イタリアの詩人とパウンドとの交流の話ももちろん大変有益。質疑では、最後に、ダンテの『神曲』への言及に関連して、アルナウト・ダニエル(およびスタティウス)への言及は『詩篇』にあるのか、という質問があった。ダニエルに関しては、「詩篇29」でエリオットがアルノーと呼ばれているので、その旨発言しようかと思ったが、質問に正しく答えていないような気がしたのでやめておく(遅刻したということもあるし)。

終了後、生協で知り合いとランチを食べ(学部名の略語を冠したランチ)、午後の特別シンポへ。これもまた遅刻してしまったが、席が空いていないほどの賑わい。何とか前の方に空席を見つけて座り、文化と政治に関する知識人の振る舞いをめぐる、 イギリスとアメリカの例についての話をせっせとメモを取りながら聞く。イギリスの話はルパート・ブルックを中心とするもので、勉強になったが、話の流れの中で、キュビスムの紹介を行い、パウンドとも関係の深いオレージと『ニュー・エイジ』にも言及があり、いろいろな人がこうして結びついていく訳かといった凡庸な感想を抱く。戦後アメリカのユダヤ系知識人と南部農本主義者の脱政治化の話も、もちろんおもしろく拝聴。豊富な内容を短時間で論じるというところがあって、聞き手はついていくのが大変だったかもしれないが、そもそも南部農本主義者についての話はあまり聞けないし、彼らとユダヤ知識人たちの政治スタンスが奇妙なところで重なり合うという状況はやはりおもしろい。個人的には、ユダヤ系知識人が戦後に脱イデオロギー的姿勢を取るに至るまでの経緯をもう少し詳しく聞きたかったが、時間が限られているので、それはまた別の機会にということになるのだろう。まだまだ豊富なネタをお持ちであるはずなので、今後もさらに話を聞かせてほしい。質疑は失礼し、バス、阪急、地下鉄、新幹線、地下鉄、地下鉄で帰宅。名駅で買った駅弁で腹ごしらえの後、仕事。