1Q84

朝、こちらでも揺れて目を覚ます。横揺れの中で、テーブルの上から電子辞書が床に落ちる。聞くところによると、ラジオでは(テレビでも?)、駿河湾沖で地震が発生した模様ですというアナウンスがあり、そのすぐ後に揺れが始まったのだとか。心の準備をする時間はほとんどなかった模様だが、それでも事前に案内があるというのはすごい。まあ、こちらはラジオもテレビもつけていなかったので、放送の効果はなかったのだが。

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1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

採点中に読み始めたのだが、止まらず、一気読み。プロットの展開、サスペンスの高まり、二つの物語の繋がり具合など秀逸。特に、Book 2 の前半までは実に面白く読む。勝手に進んでいく時間(現実?)に置いてきぼりにされる感覚、時間の非可逆性の感覚、終末意識といったテーマも印象的だし、人物造形も見事。いつもながら、秀逸な比喩は楽しい。

1984年は留学中で、夏に一時帰国したはず。留学先で、ソニーウォークマンウォークマン・ラジオを買ったが、まだレコードを漁っていたような気がする。CD プレーヤーは持っていなかった。1983年の大晦日には、タイムズ・スクエアで無料配布されていたオーウェルの『1984』をもらった。といった具合に、自分の場合の 1984年(前後)と重ねつつ読めるというところがあり、一定以上の年齢の読者にはそういう点も面白いかも。NHK の集金人が下宿先のアパートに来たとき、テレビはありますが、NHK は映らないんですと説明すると、本当?といって部屋に入ってきて確認した、ということもあった(これは84年以前のことか)。

職業柄、アメリカ文学のことも思う。フォークナーは言うまでもないが、2巻目になって、視点人物の周囲から人が消えていくあたりでは、ピンチョンの Crying のことを思うし、青豆の針刺しで Vineland を思い出したりもする。カルトとそこからの離脱というテーマから、デリロの『マオ II』とは必ず比較されるだろうし、天吾と青豆の超自然的な愛の話でエリクソンを思い出してもよいかもしれない。(あと、天吾の少年時代のくだりで――青豆の少女時代のくだり同様すばらしい――ドス・パソスUSA をちらっと思い出したりもする。)

一方、村上作品にしばしば登場する、特異な話し方の(女性の)人物に惹かれることが多いのだが、今回はふかえり。稚拙な外国語の翻訳のような日本語で話す。言葉がというわけではないが、記者会見の準備のシーンはとりわけ印象的。

しかし、Book 2 の後半は、うーん、なんだかなーと思う箇所もあり。パシヴァ、レシヴァ、マザ、ドウタのあたりが今ひとつすっきりしないように感じるのは、こちらの頭が悪いからか。リトル・ピープルに関して、善と悪のバランス(善悪の彼岸?)といった見方も出てくるが、今ひとつはっきりしないように思った。ただし、空気さなぎやリトル・ピープルの話そのものは――物語内物語の趣向もあって――魅力的であると感じた。先に読み終えた人からは、二つの月が出てくる SF の話も聞く。

あざみはいつ出てくるのかと思って読んだのだが、ついに登場しなかった。深田の妻(ふかえりの母)も同様。青豆の自殺もよくわからないし、小松や「さきがけ」のその後の話も読みたい。続編はほんとに出るのか?

題名は天吾の IQ が 84.5(偏差値ということかな?)と読んでみたが、まあ間違いだろう。

ともかく、内容豊富な大作、この本について何かを言うのなら、それなりの時間をかけて準備をする必要がありそうだ。ほーほー。