権力と暴力

添削、会議、補講、その他。

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権力と暴力 (シリーズ・アメリカ研究の越境)

権力と暴力 (シリーズ・アメリカ研究の越境)

アメリカ学会創立40周年記念事業の一環として企画された「シリーズ・アメリカ研究の越境」。本書はその第2巻。「国民国家建設と暴力」「産業社会の発展と暴力」「グローバル化社会と暴力」の3部構成。そのうちの第11章「暗喩としての車 ――交通暴力の表象史」(舌津智之)と第10章「「自由の帝国」に「女」は住めない――武装権から考える「アメリカのフェミニズム」」(藤森かよこ)を拝読。前者は、20年代から現代に至るアメリカの文学、音楽、映画から自動車の表象をピックアップし、それらの表象に孕まれる交通暴力のあり方を明らかにしようとするもの。様々な作品に採りあげられるクライスラー社の「プリマス」に着目して、その文化史的含蓄を明らかにしていく箇所、ビーチボーイズの歌に現れる自動車表象の分析など興味深い。後者は、憲法修正第2条が規定する武装権に照らし合わせて、女が武器を持つことの是非をめぐる議論を辿ったうえで、上野千鶴子の論考を踏まえつつ、銃所持を擁護するフェミニストを現代の「女民兵」として位置づけるもの。「暴力的攻撃的と批判される「アメリカのフェミニズム」を擁護し」、「その可能性を指摘したい」と言う著者は、結論部で、「「自由の帝国」は、その共和国の理念を守るためには、ひいては個人の自由と権利を守るためには、暴力を辞さないほど、その理念を根源的に確信している「アメリカのフェミニスト」が、住人として最も似合う。」と延べる。この1文はアイロニカルに読まれるべきなのか。そうでないとしたら、個人的には違和感を覚える。

その他、第2章「アメリカ革命期の群衆暴動と社会秩序の変容」(肥後本芳男)、第3章「自由の暴力、秩序の暴力、言葉と暴力――ウィスキー反乱における共和政観の交錯」(中野勝郎)、第5章「南部の再建と暴力――サウス・カロライナ州における「秩序の回復」」(落合明子)なども面白そうだが、まだこれから。

古矢旬・山田史郎(編著)。